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Dobrý den!(ドブリーデン)こんにちは!

はじめまして!チェコ共和国のオロモウツを拠点に活動しているGenです!

ヨーロッパで柔道の指導をされている先輩方にお世話になりながらブログに参加させてもらいました!

2016年春からチェコ共和国・モラビア地方にある

Olomouc/オロモウツという街に住んでます。

オロモウツのJudo Klub OlomoucでアシスタントとしてU-15、U-18、U-21の選手たちのサポートをしています!

記念すべき初投稿は

これまでの出来事、チェコで柔道をするまでについて、かんたんに書きたいとおもいます!

  1. 柔道と歩む人生の始まり
  2. 枠が広がったハワイ出身柔道家との出会い
  3. 小さな勇気から
  4. 監督との出会い、ひとつのアイデア

文章下手ですが大目に見てってください。。。

柔道人生のはじまり

ごく普通の小柄な少年は九州の鹿児島で育ちました。

僕が幼稚園生のとき、テレビで剣道のシーンを見て「オレも剣士になりたい、強くなりたい!」と心に決め

翌日、砂場で遊ぶ仲良しの友達に言いました。「おれ、剣士になりたいから剣道やる!!」

その友達は、お父さんが柔道の先生でして、すでに柔道をやってました。

「剣道は道場が隣だからいつも見てるけど、一緒に柔道やろう!!

彼の一言で僕の剣道への決意は変わって、僕の柔道人生が始まりました。

インターナショナルな柔道の可能性

強くなりたいという気持ち以外に柔道の可能性をみせてくれたのは

大学1年生のときです。

体育の教員と柔道のレベルアップを目指し東京の日本体育大学で学び、柔道部に所属していました。日体大の柔道部は部員が100名以上いるので1軍と2軍にわかれて稽古します。(たまに合同で練習する機会もあります)僕の学生生活は2軍で終わりましたが、1軍の稽古には、よく海外のナショナルチームが練習にきます。柔道雑誌やテレビで見た有名な選手、本物が現れるとスゲェー!と心の中で興奮してました。

実際、海外の選手もそうですが、日本代表の選手も稽古にいたのですごい環境にいたんだな。。。と改めて思います。

身近になった海外の柔道

僕が大学1年生のある日、アメリカからひとりの柔道家が稽古にきました。

最初の印象は、よく稽古に来る“海外の柔道家”と変わらなかったのですが

今回の柔道家は僕と同じ年で ハワイ出身。

日系3世の彼はカタコトの日本語が話せました。

2-3カ月、僕のいる4人部屋に滞在して稽古をする。ということらしく

「トレーニングは何時?」「乱取りは何本?」「ご飯は何時?」「洗濯はどこ」等の生活でわからないこと、聞きたいことを彼の知っているカタコト日本語と僕の中学生レベルのカタコト英単語で話すうちに、自然と仲良くなりました。

毎日話してると、これは英語ではなんて言うの?日本語ではなんて言うの?とお互いに質問してお互いに少しづつ言葉を覚えていきました。

そして彼はアメリカでは、ボストンの近くの道場で稽古しているらしく、その道場にはオリンピックチャンピオンや国際試合で結果を残してる選手たちがいるというので

「どんな稽古してるの?」「稽古はなにが違う?」「なんでオリンピックチャンピオンは強いの?」などなど柔道についても聞いていきました。

そこから日本で開催される、グランドスラム東京や、稽古に来る海外の柔道選手に英語で話しかけたり、彼が行くところに一緒に行って会話のタイミングを見計らって「なんて言った?なんで今の会話でウケてるの?」と聞きまくりました。稽古に来る海外の選手もトレーニングだけして帰るよりも、柔道の繋がりがあると、また来たときに安心するし、友達ができることは嬉しいことなんだ。と、このとき実感しはじめました。

親友の帰国後

親友となった日系三世の彼が帰国した後も、小さな勇気を出して “Hello,How are you?”から声をかけ、稽古に来ている世界の柔道家との会話に挑戦していきました。

日本語でも人と話すのが得意ではない僕ですが、知ってる単語が通じた時の嬉しさ次の会話のモチベーションになりました。

新たな出会い

同じ競技をやってる友達が世界中にできるのは僕自身もうれしいことでした。

SNSがあるおかげで連絡が取りやすく、帰国した後も頑張ってる姿や旅行に行ってる写真を見ては、いいねやコメントを書いて、友達のライフスタイルを見ることができました。

そして、僕が大学3年生のとき、チェコのパラツキー大学から留学生が来てました。(たびたび校内で留学生を見かけていましたが、柔道をやっている留学生がいるとは知りませんでした)

いつものようにHello,How are you?から軽い会話をはじめて、彼は『チェコから来た留学生で柔道をしている』とまでは理解して、翌日学食のランチを誘いました。そのときにゆっくり会話ができて「なぜ留学したいと思ったの?、なぜ日本を選んだの?、チェコのはどんなとこ?」など聞きたいことの英語を事前に調べてから学食に行きました。学食で会話しながら僕は将来について聞かれました。

「体育の教員免許を取りたいけど、卒業後は海外で柔道の仕事ができたら一番良いと思う」

なぜ、海外で柔道の仕事をする選択肢を考えはじめたかというと

海外のナショナルチームが稽古に来てるとき、時々日本人の先生が海外選手のコーチをしているのを見てたのがきっかけです。

よく考えると、「どうやってコーチになれる?生活は?言葉は?」と様々な不安・疑問点はありました。。。

数日後、道場でチェコの留学生と再会したとき、彼から

「ボクの先生がグランドスラム東京を観に来るからそのとき会って話したらどう?」と提案してくれました。

僕は「うん!会いたい!」即答で答えました。

卒業後は就職する、働く、これからの人生を考えたとき

やりたいこと、やりがいのあること、好きなこと、それが人の役に立つのであればそんな仕事をやりたいな。と考えていました。

監督との出会い

そして、グランドスラム東京の会場に行き、チェコの柔道クラブの監督と会いました。とても気さくな方で試合会場の近くでお昼ご飯を食べながら

「いつから柔道してるの?」「日本のどこ出身?」「なんで海外に行きたいと思うの?」など先生の質問に、知ってる限りの英単語を駆使して答え、ぎこちない僕の英語でしたが、僕の考えをわかろうとしてくれている先生の姿勢が印象的でした。

食事を終え会場近くに戻り、一緒に外の屋台のクレープを食べてるときでした。

『ひとつアイディアがある』とチェコの先生が言いました。

卒業して、もしチェコに来てくれたら、それは私たちも嬉しい。

でも、チェコに来て生活や文化が合わなくて帰りたくなるかもしれない。

それは君自身も私たちにもまだわからない。

大学の休みがあるよね?そのとき一度チェコに見に来るのはどう?

「はい!行きたいです!」と

頭で考えるよりも先に、口から言葉が出てました。

そのとき全身にゾワゾワッ..と妙な緊張が走ったのを覚えています。

飛行機代や滞在費は誰が払う?という考えよりも先に、心からわくわくする気持ちが反応しました。

大学3年生から4年生になる春休みにチェコへ行ってみようと決めました。

しかし、その時期はちょうど大学の海外文化交流実習がハワイでありました。

ハワイ実習から帰国し、1日の間を設けてスーツケースを夏服から冬服に入れ替え、チェコで約1カ月の生活しました。

チェコの留学生が所属するクラブでキッズの稽古に参加したり

ヨーロッパ柔道連盟が行っているOTC(オリンピック・トレーニング・キャンプ)-Going for Gold-に参加して世界選手権、オリンピックのメダリストと稽古をしたり

チェコ国内のブロック合宿にも参加しました。

このとき、僕はまだ学生だったので一緒に練習して、ちょっと技を紹介する感じのプチ柔道留学でした。

実体験を通して決めたのは、チェコで柔道の指導をしたい!

様々な異文化を体験をする中で、言葉もスーパーの買い物の仕方もわからないことばかりで、たくさんの人がサポートしてくれました。

僕は強くはないし、試合にも全然出れなかったけど

自分のやってきた柔道で、新しい出会いや経験、貴重な機会をいただきました。

チェコから帰って、残された大学生活でも

カザフスタンに試合で行ったり、サンボに挑戦してみたり

宮崎の恩師の下で国際試合のお手伝いをさせてもらったり

できる経験を積んでチェコに再び来ました。

長々となってしまいましたが、今回はチェコで柔道をするまで。

次は実際に、チェコで柔道の指導・生活をして見えてきたことについて書いていこうと思います。

では、また次回!
Nashledanou!(ナスフレダノウ) さようなら~!

読んでいただきありがとうございます!

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