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少年は10歳で柔道を始めた.
キッカケは母親の薦め.
当時少年はまともにスポーツをした経験が無く,体型はいわゆるぽっちゃりデブ.学校終わりには家でダラダラTVを観たり漫画を見たりして過ごしてた.そんな少年を心配した母親が柔道を薦めてきた.
少年は当時、柔道をしたいと考えなかった.
そんな少年に母親は 「見学だけ行こうか」と言い町道場へ.
道場に着くとそこにはおじいちゃん先生がいて 「せっかく来たから受身だけしていこうか」と言い,柔道衣の上だけ着せられて受身を習う.
かれこれ1時間以上は受身の練習をした.少年の体は汗だく.
練習後、先生は 「明後日の練習の時に道衣を洗って返しにきなさい」と仰ってたので道衣を洗濯し再び道場へ.
このとき少年は柔道はやらないと思っていたが先生が一言 「せっかく来たから今日も受身の練習しよか」と.
受身の練習を1時間 練習後,先生は 「来週の月曜日に道衣を洗って返しにきなさい」と.
そんなやり取りが1ヶ月続いた 1ヶ月後,先生は 「今日は打込みの入り方教えるよ」と言い,少年は近くにいた母親に 「見学じゃないの?」と怪訝そうな顔を浮かべて聞いても母親は苦笑い.
少年は先生にはめられた.
体が大きかった事もあって柔道を半ば強引に習う羽目になる.
少年は1〜2年で地方の大会や県大会で結果が出る様にはなったが,同じ同級生の同門に技術的にも実力的にも全く敵わない選手がいた.
彼の名は康広「やすひろ・仮名」 かずまさ事、ヤスは幼い頃から柔道を始めて技のヤスが凄かった.
少年はそんなヤスをライバル視する
少年が通う道場には指導者の先生が6人程いてそのうちの1人の先生であるA先生はヤスを可愛がり,ヤスを中心に指導をし続けた.
一方,少年はA先生からは怒鳴られ,ビンタをされたり 「お前はセンスが無い」と言われ続けた.
少年はますますA先生とヤスの事が疎ましくなる.
ある試合前の集合場所でA先生は髪の毛が長い少年を見ると 「坊主にしろ。坊主にすると強くなる.ヤスを見てみろ.坊主だからアイツはお前より強いんだ」 と訳のわからない事を少年に言い放った.
少年からするとA先生は指導者ではなくただの「嫌味な大人」としか見れなくなった.
柔道を始めて2年も経つと少年とヤスとの差は縮まり始め,地方の大会の決勝戦で2度少年はヤスに勝った.
決まり技はいずれも一本背負投.この一本背負投は少年自身が漫画,YAWARAのヤワラちゃんの見様見真似で学んだ技である.
少年は当時,先生から技を教えてもらった事は殆ど無く大外刈と足払いだけだった.
内股を得意とするヤスに対抗できる技を何とか手に入れたかった少年は当時母親が読んでいたYAWARAを読み漁り,一本背負投を左右で我流で覚えた.そして左右の大外刈もこの時に我流で学んだ.
ある大会後の練習で少年は再びA先生から「センスが無い」と言われる.少年は「何故この人はセンスが無いと僕に言うの?他の先生はそんなこと絶対に言わないのに」と不満ながらも考えたが答えが見つからなかった.
ある時,A先生は遂に少年の父親に対しても「●●はセンスが無い」と言い放つ.
少年の父親はその時は我慢していたが夜帰ってきた晩ご飯のとき 「A先生は●●にセンスが無いと俺に言ってきた.何様なんだアイツは.指導者ならセンスの無い子でも強くなれる様に教えるのが努めだろ」と怒りを露わにしていた.
そして怒りを抑えれない少年の父はA先生を練習後に呼び出した.
少年は「やめて!僕は何とも思ってないから!」と言うも父親は聞く耳持たず練習後,少年は父親がA先生の名前を凄い形相で大声で「A先生!」と呼び出した.
少年は堪らず更衣室へ逃げて話が終わるまでジッとしていた.話が終わると父親は更衣室を開けて一言「帰るぞ」
その次の週からA先生は練習に来なくなった.
少年は 「僕がセンス無いから駄目なんだ。センスがあればこんな事にはならなかった」と自分を責める.A先生曰く、少年にセンスが無いと言い続けたのは少年の力を認めながらどこか甘んじている少年に対して 「何クソ!」と思ってほしかったからだという.
結局A先生は少年が小学校を卒業するまでの約3ヶ月の間,1度も練習に来なかった.
少年はそれから柔道が嫌になり始め,ライバルだったヤスにも敵意を抱く様になる.
奇しくも少年とヤスは同じ中学の柔道部へ入部する 中学に入ってもヤスに対して好意を抱けず,ヤスからの乱取りのお願いも断る様になる.
そしてヤスと少年は高校に進学する際に別々の高校へ進学した.
ヤスが進んだ高校には中学時代の先輩がいる柔道部へ.少年は先輩も知り合いもいない高校の柔道部へ進んだ.
少年がその高校を選んだ理由は 「ヤスや先輩と離れて強くなる為」
そして高校卒業が近くなる頃,ヤスから食事や遊びの誘いが頻繁に来るようになる.
当時バチバチの関係だった彼とは思えないその懐の深さに少年はヤスに心を許し,その日を境に少年は今でもヤスと連絡を取り合ってる.
少年は遥かにまだまだ子供のままだった.
少年が指導者になった今,心掛けてる事がある
- 生徒を否定する言葉を使わない
- どんな時でも生徒に手は絶対に出さない
- 叱る時は理由と根拠を分かりやすく説明する
- 褒める時は全力で褒める
- 生徒の接し方は人によって変えるが,必ずその生徒の長所と短所を見つけて伸ばす,改善させる
これらは何故かと言うと少年自身の子供時代,指導者にされて嬉しかった事と嫌だった事を自分に照らし合わせて考えた結果.
生憎少年は物分りが悪く,集中力の無い子供だった.そんな少年に嫌気をさしたのか 怒鳴る,叩く,貶す先生と何人か出会う羽目になる.
一方でそんな少年を優しく受け入れてくれた指導者もいた.
少年に決して手を出したり貶したりしなかった道場のB先生,高校のC先生だ.
A先生と違いB先生は少年を私生活でも練習でも可愛がってくれた.高校のC先生はあらゆる手や話術を使って少年をその気にさせる努力をしていた.
少年はA先生,B先生,C先生の良い所と悪い所,悪い所は反面教師としてそうならない努力をしようと決めた.
ビンタをされたり貶されて 「何クソ!」と思う子供もいるかもしれない .ただ少年始め多くの子供はそれを指導や愛として受け入れずに柔道を嫌いになるキッカケに過ぎない.
何事もタイミングや掛ける言葉が重要であり,そんな事も考えずに圧ばかりかけ続けると子供は競技から離れていく.
幸いにも少年は母親が恐かった為,柔道を辞めたいと言えなかった.柔道を辞めたいと言うと今度は 「じゃあ塾に行ってお兄ちゃんと同じ様に10時間毎日勉強しなさい」と言われたからだw
少年は中学,高校,そして大学で大嫌いだった柔道を奇跡的に続けた.
その過程で出会った指導者達に救われたからだ .「こんな先生もいるんだ」と思わされた.
指導者の役割は大きい.
選手の人生を左右すると言っても過言じゃないかもしれない.
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