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2018年の8月

地元ハンガリー🇭🇺で開催されるグランドスラム・ブダペスト。

実は2017年に肩の手術をしていたミキはこの大会が手術後の復帰戦になる。

僕がCegléd柔道クラブに所属してから4ヶ月後に開催された大会だ。


僕が4月にツェグレードへ移籍してきた時、ミキは肩のリハビリを経て柔道着を羽織って打込みだけの練習をしていた。

5月になると組手の練習や捌きの練習をするようになり6月になると組手だけの乱取りや投込みをする様になった。


乱取りを開始したのは7月の上旬、半ばあたり。


国際大会に出場して戦うには正直全く稽古は詰めきれてない状態ではあったがミキはひたすら打込み、投込み、寝技の反復練習、組手の反復練習を繰り返してた。


僕は毎回受けとしてミキから呼ばれ

「こう組まれたらどう捌けばいい?」
「いま投げた体落しは受けた感じどう?」

と毎回確認してくる。


アドバイスした組手や立ちから寝技のパターンも彼はとりあえず繰り返しやることを努めていた。


迎えた8月のグランドスラム・ブダペスト🇭🇺


少しミキの話から脱線しますが、その時に日本🇯🇵代表チームも参加しており現在も81kg級で活躍している僕の大学時代の同期であり主将であった小原拳哉選手も出場していた。


ホテルにあるアップ会場で拳哉と再会。


その時に現在イギリス🇬🇧でコーチングと語学を勉強されているレジェンドの海老沼匡選手と初対面した。


海老沼さんは物凄くシャイで僕がアップ会場で日本選手団の方に挨拶した際に開脚ストレッチの姿勢で僕をジーーッと見つめていた姿は今でも忘れられず
「変な奴が来たと思ってるのかな」と考えてしまったほど笑


暫くすると会場横にあるホテルに宿泊してる拳哉からLINEが来た。


「今から部屋来れる?」


僕が部屋に行くとそこには拳哉と海老沼さんの姿が。


「うわ、海老沼さんがいる…」と僕は緊張して恐る恐る部屋の中へ入ると拳哉、海老沼さんと3人で柔道の話で盛り上がった。


「匡先輩も柔道好きだから柔道好きのお前とも話合うと思うよ」


と拳哉に言われ話をしているうちに徐々に打ち解けれる様になった。


そして拳哉が「ウングヴァリていま何歳?」と聞いてきて37歳という事を伝えると海老沼さんが

「試合したことあるけど動きも独特だし組手切るしなかなか組ませてくれなくて凄くやり辛かったの覚えてる。」と言った。


1時間ほど柔道の話や伝説の柔道私塾の話、拳哉と学生時代の話をした後、僕はホテルから出てツェグレードの町へ戻った。


迎えた試合当日。

ミキの出場は大会二日目。

ウォーミングアップ会場でヘッドホンで音楽を聞きながらハンガリー🇭🇺のトレードカラーである緑のナショナルチームジャージで入念にミキは体を温めてた。

30分近いストレッチ、イメージトレーニングをしたあとに走り込むと今度もまたストレッチ。

ストレッチが終わると僕を呼んで打込みを開始。

左右の打込み、組手の確認、立ちから寝技の部分稽古、寝技の稽古、寝技の1分乱取り、投込みと1時間以上のアップで準備を済ませると持参したミネラルウォーターで一口飲むと乾いた口をゆすぐように頬を左右に動かす。

アップが終わるとまたナショナルジャージを羽織り、ヘッドホンを付けると暫く横になって仮眠を取った。


1年近く試合から遠ざかり更に肩の手術空け、まともな練習は試合一ヶ月前。年齢も37歳になり2ヶ月後には38歳を迎えるミキ。

とてもじゃないが僕を含め周囲は入賞はおろか1回戦敗退すら予想していた。

初戦の相手はオーストリア🇦🇹の選手。

2017年の欧州選手権で🇬🇪の英雄、ラシャ・シャフダトゥアシヴィリを倒して準々決勝まで勝ち上がった選手だ。

準々決勝でミキに敗れたが今回は当時と状況的にもかなり不利だった。


試合が始まると体落しで技ありを奪いそのまま逃げ切って初戦を突破。


2回戦の相手は長身のオランダ🇳🇱の選手。

延長線のゴールデンスコアまでもつれ指導1ビハインドと厳しい中で左の小内巻込で技あり。

この試合も持ち前のしぶとさで勝利。

これで勢い乗ると3回戦はポーランド🇵🇱の選手に小内巻込で2つの技ありを奪い合せ技一本で勝利。

準々決勝まで進出した。

手術空けの37歳とは思えない勝ち上がりぶりを前に「これはもしかしたら」という思いが湧いてくる。


準々決勝。

相手はルーマニア🇷🇴のライク選手。

この試合も延長線にもつれ込んだが相手がうつ伏せになったところを若い頃に韓国🇰🇷の寝業師から盗んで覚えたという彼自身が得意技としている技で抑え込み一本。


準決勝まで進んだ。

準決勝の相手はカナダ🇨🇦のマルジェリドン。

こちらも延長線までもつれ込んだが、指導2を奪われ相手は指導0の絶体絶命的な状況の中でミキが小内気味で足を踏み入れ相手の背中を肩襟越しに叩きこむ。

相手をそれを返そうと踏ん張り背筋を伸ばし浮足立った一瞬の隙をついて小内刈で技あり。


決勝まで勝ち上がってしまった。

迎えた決勝の相手は日本🇯🇵の海老沼匡選手。

ここからは今まで僕がオフレコにしていた内容で海老沼さんには勿論、拳哉にも他の関係者にも話ししてない内容。


ブログにこの内容を書くことに少し戸惑いもあったが4年前の話なので懴悔の気持ちも含め今ここに綴りたい。


試合後のウォーミングアップ会場でミキが僕の方へ近付いて来て

「EBINUMAの対策どうすればいい?何をしたら彼に勝てる?」と聞いてきた。


正直この質問には頭を抱えてしまい

「海老沼さん相手にまともに組み合ったら絶対勝てないしかと言って技で投げるのも難しいし寝技も勿論警戒してくる。どうすればいいんだろうか…」と必死に対策を考えてるとあの時の海老沼さんとの会話を思い出した。


「独特な動きをしてきて組手もぶちぶち切るからやり辛い。」

部外者のコーチが他国の選手の部屋に入って、決勝で当たるかもしれない海老沼さんのその話の内容を話すことに僕は躊躇したが

(決勝をかけた戦い。ここで最善も対策も尽くさずにミキが負けてしまうと一生悔いが残るかもしれない。ましてやそれをアドバイスとして教えたところで勝てる可能性は極めて低い。今は割り切ってコーチとしてやれることをやろう。)と悩んだ末にそのことを告げた。

僕は彼を見て

「相手は必ず投げに来る。前に出てくる。彼は組み合うと強い。徹底的に相手の組手を切った方がいい。沢山動いて相手に的を絞らせない様にしよう。勝てるとしたら一瞬のチャンス。内股を掛けてきたら回して返しを狙おう。」

と告げると

「分かった。道着着て準備してくる。」と言い彼と僕は二人で入念に寝技、組手の攻防、返し技で対策を練った。

これで勝てなかったからもう勝つ兆しは無い。

あとは地元パワーとミキに任せるしか無かった。

迎えた決勝戦。

海老沼選手は組みにきた。

対策通りに徹底的に釣手を切って足を飛ばすミキ。海老沼選手はこれに付き合わずあくまでも冷静に対応してこれに付き合わない。

海老沼選手が左釣手で奥襟を持つと遠間からのケンケン大内刈を仕掛けてきた。

掛けられた大内刈でミキの足が海老沼選手の頭上まで上がり海老沼選手は続けてこれを内股へ切り替えるとミキは釣手を海老沼選手の脇下から奥襟に持ち変えて内股を回そうと必死に堪える。審判の【待て】が掛かる。

あわやという場面でこの場は凌いだ。

海老沼選手は攻撃の手を止めずに釣手を上下に振りながらいなすと左の低い背負投。

ミキは腹這いになり必死に堪えるもひっくり返ってしまう。

技ありを宣告されてもおかしくなかったがこれはノースコア。

これで消極的指導を取られると今度は相手に足を長時間引っ掛け続けたペナルティで指導2も取られた。

僕は会場の観客席でこの試合を見守っていたがハッキリ言ってここまでの過程を見てると勝つ可能性は相当厳しかった。

それでもミキは諦めずに前に出る。

海老沼選手が場外際までミキを追い詰めると低い袖釣込腰を仕掛けてきた。

股下まで潜り込まれると防ぎようが無かったがミキの足が右足が僅かに内側にズレて最後まで極めにくる海老沼選手はここで攻撃の手を緩めずに猛追。

体を浴びせながら掛け続けるとミキの体が入れ代わり海老沼選手に絞られた両手で最後はミキが上になった。


会場は大歓声。


審判は【待て】をかけた。


かなり珍しいシーンで『これは技の判定に入るのか?』と僕を含め会場の皆はどよめいていたが結果的にこれが一本となり37歳の最年長でミキはワールドツアーを制することになった。

 

僕の周囲にいたツェグレードの柔道関係者、ツェグレードのミキの友人達、家族、ハンガリー柔道の関係者が声を上げて喜ぶ中、
僕はミキが海老沼さんに勝って優勝した嬉しさと海老沼さんが心を開いて僕に話してくれた内容をミキにアドバイスとして伝えたことによる罪悪感で複雑な感情になった。


「勿論勝って嬉しいけど…僕がやったことは人としてどうなんだろうか。」

そんな気持ちが強くなり素直に声をあげて高々と喜ぶことは出来なかった。

そんな静かにジーッと観客席の最前列の手すりに両手を掛けて見ていた僕に隣りにいたミキのビジネスパートナーが

「ケンは日本人とハンガリー人どっちを応援していた?二人を応援しないといけないから複雑だよな。」と話し掛けてきた。


僕は悩んで言葉を詰まらせたが

「勿論両方応援してた。海老沼さんはとても良い人だというのが今回話して分かったし、そんな海老沼さんがミキと試合するのは少し複雑だった。ただ僕はミキの練習パートナー、コーチとしてやれることはミキの応援。彼の優勝はとても嬉しい。」と伝えるとその人は

「そうかぁ。」と笑顔になった。

表彰式になるとハンガリー🇭🇺国旗が掛かりハンガリーの国歌が流れた。

この国歌が流れると僕の目から自然と涙が出た。

会場のスクリーンにはミキの顔が映し出され美しくも儚いそして心が安らぐようなハンガリー🇭🇺の国家が流れる中、彼は涙目で嬉しそうに下を俯きながら柔道着の胸に刺繍されたハンガリー🇭🇺の国章に胸を当てた。


僕はこの試合、表彰式がキッカケでハンガリー🇭🇺の国歌が大好きになった。


この国歌を聞くと未だに胸が熱くなり心が落ち着き、『自分はハンガリーが好きなんだ』という気持ちが高まってくる。


表彰式が終わり、会場のウォーミングアップ場に置いてきた荷物を取りに下へ戻ると海老沼さんとバッタリ会ってしまった。

「このタイミングで最悪だ…」と思いつい

「お疲れ様でした。」とできるだけ目を合わさないように小声で会釈して顔をあげると海老沼さんは笑顔で

「いやーもう甲斐田君は敵だからなぁ笑。でも背中付いたのは俺だし負けたのも俺だからまた頑張るよ。」と返してくれた。

その時に「いや、実はあの時、海老沼さんが話してたことを…」とは言えなかった。

ただそれを言ったところで海老沼さんはそのせいで負けたとは言わないだろうししたくないだろうなと自分で勝手に解釈してこのことは胸にしまった。


僕は会場横にあるホテルへ到着するとシャワーを浴びて着替え、ホテルの一回にあるバーに行くとミキがカウンター席に座ってた。

「今日は本当にありがとう。全試合とても厳しい闘いだったけど、付き添いしてくれて感謝してるよ。今日はビール🍺飲もう!」とビールを奢ってくれた。


ミキの傷だらけで真っ赤になった顔が今日の試合の激しさ、辛さを物語ってた。


試合後には海老沼さんと拳哉と三人で僕の前のクラブ生が店長をしている行きつけのレストランへ足を運んだ。


拳哉もその日はオランダ🇳🇱のデビット、イタリア🇮🇹のパルラティを倒し決勝へ行くも優勝に届かず準優勝だった。


拳哉と海老沼さんと3人で食事をし海老沼さんが「ハンガリー料理て何が美味しいの?」

と僕に尋ねると

「ハラースレーという川魚を煮込んでパプリカの調味料で味付けするスープが美味しいですよ。川魚独特の臭みがあるので好き嫌い分かれますが。」と答えると海老沼さんも拳哉もそれをハラースレーといくつかのコース料理を頼んだ。

食事後、ホテルへ戻ると拳哉が
「匡先輩、蕁麻疹出てません?」と口に出すと海老沼さんの体にはハラースレーの魚のせいか蕁麻疹が出ていた。

ここでまた海老沼さんに対して僕は
「悪いことしてしまった…」と思うも

「でもあのスープ美味しかったし、蕁麻疹も治るやろ」と平気な感じで軽く流していた。


こうして小原拳哉と2年ぶりの再会、海老沼匡さんとの初対面を終えるとGPブダペスト🇭🇺は幕を閉じた。


GPブダペスト🇭🇺後は国内で行われた合宿や夏休みでハードな日々を過ごし合宿後はハンガリー🇭🇺国内で唯一原子力発電所がある町、パクシュ【PAKS】のドナウ川横にあるバーでミキや弟のアッティラ等と昼ご飯をした後にサイコロゲーム、トランプゲーム、そしてお決まりのパーリンカ一気飲みが始まった。

パーリンカとはハンガリー🇭🇺の伝統的なお酒の一種でフルーツを原料とするアルコール度数の高いフルーツブランデーである。

アルコール度数は平均的に40〜60%。


余談だが日本🇯🇵の永瀬貴規選手はこのパーリンカがとても苦手だという。笑


このパーリンカを僕は5杯ほど一気飲みすると次いでビール、ワイン、ウォッカでお腹をチャンポン。


飲むと気分が高まり、周りの皆は喜んでくれる。


これが仇となり、帰りのミキが運転する車でグロッキー状態。

ミキに
「ビニール袋無い…?もうすぐ吐きそうなんだけど」と聞くもビニール袋は無い。

途中で車を停めれるか聞くも高速道路に入ってしまう為、無理だった。

僕は諦めて車が走ってる中、窓を開けリバース。

逆風で僕のゲ●が全て車内に入り込み僕は全身ゲ●まみれ。※汚くてごめんなさい💦

ミキが隣で思わず

「バズメグ…」=嘘だろ…

と呟いたのを最後に僕は気絶したように眠ってしまい気付くとガソリンスタンドの地面にあぐらをかいていた。

ミキやアッティラが必死に車内を掃除してるのを僕は半目半開きで意識が朦朧とする中見つめてた。

気付くと宿に着いていて僕は力を振り絞ってゲ●まみれの体を洗い流しベッドへ横たわった。


次の日、二日酔いで道場へ向かうとミキが車から降りてきた。


僕はミキに


「昨日は本当にすみませんでした。」


と謝るとミキは「いや、全然いいよ。それよりもお前死ぬまで飲み続けてまるでサムライみたいだったよ。」と笑いながら答えてくれた。


この日を境に僕はパーリンカが好きだと周囲に勘違いされ始めパーリンカを奢るハンガリー人🇭🇺が激増した。


いや、違うんだよ。僕はサラミが好きなんだ。


僕は素直にそう彼らに言っている。


後編に続く

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