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Jó napot kívánok!皆さん、こんにちは!

今日は大学時代の先輩である羽賀龍之介先輩との出会いについて書きたいと思います。

羽賀龍之介先輩といえば2015年のアスタナ世界選手権で優勝、2016年のリオデジャネイロ五輪で3位に輝いた偉大な先輩です。

※ここからは羽賀先輩のことを「龍先輩」と称して書きます。

 

僕が龍先輩の名前を知ったのは中学1年生の頃

その年の金鷲旗で龍先輩は当時1年生ながら史上初の20人抜きを達成したのです。

毎年、怪物級の高校生が全国で注目されるキッカケとなるこの大会ですが、僕はその偉業を1年生ながら成し遂げた龍先輩の名前を一瞬で覚えました。名前もTHE・格闘家という感じでしたし。
(金鷲旗とは、高校柔道三大タイトルの一つで、全国の高校団体チームが無差別に参加してくるオープントーナメント大会。勝ち抜き戦の全国大会です。)

 

僕が龍先輩と出会ったのは大学1年生の頃

当時僕が住んでた柔道部の寮には後の世界チャンピオンが3人、銀メダリストが1人(韓国代表のキム・リーマン先輩)、講道館王者が数名、全日本王者、世界選手権代表が数名といった面々が共同で住んでたとんでもない寮でしたw

入寮当初は雑誌やニュースでしか見たことない先輩達が普通に廊下を歩いたりしてるその光景に感動したのを今でも覚えてます。

極めつけは当時、同部屋だった同級生の近藤弘孝選手(現・愛知県警、全日本選手権出場内定者)と一緒にリビングにいた時に橋本壮市先輩がやってきて、

「おう!今日から入寮?」

と話しかけてきて、僕達は挨拶を済ませて橋本先輩がリビングから出ると、近藤選手が感動した面持ちで、

「橋本壮市だ…すげぇ」と呟いてたのは記憶に新しいです笑

 

そんな寮での生活が始まった訳ですが、そんな偉大な先輩達の中でも特に龍先輩だけは近寄り難い存在でした…

21歳とは思えない貫禄と佇まいで、
「この人本当に俺の3つ上か!?」と思うくらいオーラが凄かったです。

 

貫禄だと既に28歳、或いは30代くらいの領域でした(盛ってません)

 

近代柔道のリレートークで龍先輩にバトンを渡した龍先輩の親友の一人である高上智史選手(当時日体大4年生)が答えた内容によると、親分肌で兄貴分というイメージと書かれてました。

 

僕は入寮当初、龍先輩を見て
「いや、話しかけるの無理だろ」と思ってました。

 

ある日、僕が中学時代から知っている佐賀県出身の松雪直斗先輩が僕を見つけるや否や
「龍先輩が後で部屋に来いって言ってたよ」と笑いながら僕に話しかけてきました。

※松雪先輩は僕が佐賀県の基山中学校にいた時に隣の鳥栖中からよく練習に来ていて中学卒業後は東海大相模でレギュラーになり龍先輩の付人を現在に至るまで務めてる

 

「え、僕ですか!?僕、何かしましたか?」と突発的に口に出してしまいました…

 

なんせ僕は龍先輩とは話したこともないし、関わりもない。

そんな状況で1年生だった僕を一人だけ呼び出す訳ですからまーその時の不安は凄まじかったです。

 

すると松雪先輩は

「なんか龍先輩が『カイダって奴と話したいから後で俺の部屋に呼んでくれない?』て言ってたよ」

と松雪先輩特有のあの笑い方で僕に言う訳ですよ。
僕は松雪先輩に
「あの〜因みに羽賀先輩はお酒強いんですか?僕、めちゃくちゃ弱くて話にならないと思いますが。」と聞くと松雪先輩は


「龍先輩は俺より酒強いよ。あの人より酒強い人はなかなかいないし、酔うとあの人ヤバいからお前死んだよ」

とまた笑う訳ですよ!

因みに松雪先輩もかなり酒豪で一切顔が赤くなりません。


いやーもう死んだ…もう死んだよオレ…なんでオレが…と心の中で何回も呟きました


すると松雪先輩は付け加えて

「何かお前、高校でめちゃくちゃイキってたらしいやん?お前の高校ヤンキー高校なんやろ?だから龍先輩がカイダに1回焼き入れるて言ってたよ」

と言いましたww

確かに僕のいた高校は福岡でも有名な不良高校で高校のOBの先輩が東海大出身でもありました。

その先輩は僕の6つ上の先輩でしたが高校時代は地元でも有名なギャングチームに入っていました。

大学に入ってその先輩は改心し今ではかなり丸くなり、家族の為に一生懸命働いてます。

僕が高校1年生の頃に教育実習でその先輩にお世話になったのですが、

「この先輩、本当に昔ヤバかったの?」

と思うくらい優しくて落ち着いた先輩でした。

かと言って僕はヤンキーでもなかったし松雪先輩からそう言われても

「誰かと勘違いしてるんじゃないか?」と思わざるを得ませんでした。

確かにイキってた時はありましたが笑

 

話を戻すと、そうこう考えてるうちに松雪先輩は、

「じゃあ、俺は伝えたからお前ちゃんと行けよ。行かなかったら本当にヤバいから」

と言いました。

 

部屋に戻った後に

「うわ〜行きたくねー近藤も来てよ」と近藤選手に言っても

「俺は呼ばれてないからカイダが行ってきなw」という感じで道連れは失敗し龍先輩の部屋へ恐る恐るノックをしました。

すると

「おう、入っていいよ」と龍先輩が返事をし

「失礼しまーす」と僕は緊張しながら入ると、龍先輩は満面の笑みで

「おう、ここ座れよ」

と龍先輩が座るソファーの隣に体操座りで僕は座りました笑

 

「お前、緊張してるの?」と龍先輩が聞くと

「あ、それは勿論。何で僕を呼んだんですか…?」と聞くと先輩は

「お前、高校の時はっちゃけてたの?正直に言ってみな」と軽くジャブを入れてきて

「いえいえヤンキーだなんて…確かに僕の高校は退学者が出過ぎて1年間で一学年減るくらいの高校ですが僕は普通の人間です」と返しました。

 

すると龍先輩は「まあいいから」と。

「あー殺されるわ…俺死んだ」と内心泣いてました。

大学の飲み会は凄いと聞いてたのである程度覚悟はしてたのですがそれにしてもその日が来るの早すぎだろ…と

 

すると龍先輩は意外にも

「俺、後輩から恐がられるけどそんなに恐いかな?お前は俺の事恐くないだろ?ヤンキーだから」と笑いながら言うと

「いや僕ヤンキーじゃないんすよ…」と返すと

「俺がお前呼んだのは松雪がお前の話をよくするからじゃあ1回飯でも行くか、てなったんだよ」と言いました。

「え、じゃあ僕今日やられないんですか?」とブルブル震えて聞くと

「俺はそんな事しないよ。ただお前と話したいだけだから」と笑いながら言いました。

 

「あ〜良かった…僕、潰されるかと思いました」とつい安堵の涙が出てしまい

「何でお前泣いてるの!?泣くなよ!」とまた笑いながら言いました笑

 

このネタは今でも龍先輩にイジられます…

安心した途端に龍先輩はそれから色んな話をしてくれました。

大学の話、柔道の話、金鷲旗の話…

気付けば僕から先輩に色々質問していました。

 

最後に、

「今日はありがとうございました。とりあえず、めっちゃ怖かったす…」と言うと龍先輩は

「じゃあ気を付けて寝ろよ」と送り出してくれました。

 

そこから龍先輩には僕が朝練で気絶した時や練習で上手くいかなかった時に励ましてくれたりと多面に於いてお世話になってました。

龍先輩は大学の心理学の先生からも「彼は賢いしよく人の話を聞く」

と言われる程、勤勉家で努力家です。

 

大学時代は肩の怪我に悩まされ続け再三手術をしていました。

練習前は早めに来て肩のストレッチやインナーマッスルトレーニングを欠かさずにやってましたし、乱取りでも毎回僕を呼んで稽古してくれました。

本人曰く

「お前はシャコタンで受けも強いし担ぎ技使うからチョグハン対策に良い」とのことでした笑

※チョグハンは100kg級の韓国代表で龍先輩のライバルの1人

当時の僕は103kgありましたし脚のトレーニングもガンガンしていたので受けには自信がありました。

そのお陰もあってレギュラークラスの選手から呼ばれる機会が多かったので自然と組み力も付きました。

 

今となっては感謝しかありません。

そして龍先輩とは去年オーストリアで開催されたミッタージル合宿で再会し一緒にご飯も食べました。

本当に良い先輩なんです,一時期、サラダというあだ名を付けられましたが笑


このサラダ事件は炎上しそうなので今回伏せますw


そんなこんなで龍先輩には今でも気に掛けて頂いてますし僕は選手として結果を残せずに先輩達には申し訳ない気持ちが今でも心残りとしてあります 


だからせめて海外指導者として成功したいというのはそういった方への恩返しも含まれてます


「アイツは俺の後輩」と自慢できる様になるまで僕は頑張ります


今回は羽賀龍之介先輩について書かせて頂きました。


今日はこのへんで!

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