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Sziasztok!


皆さんこんにちは。


今回は元クラブ生のウズバス・ヤシン君について書きます。


ヤシン君は2019年世界ジュニア選手権大会女子63kg級で優勝したウズバス・ソフィ選手の実弟です。


今年カデ1年目になる選手ですが2年前まで現在僕が所属するCVSE柔道クラブに所属していました。


実は僕が前のクラブから現在のCVSEに移るキッカケの一つが彼でした。


僕が初めて彼を試合で見たのが2017年の10月に行われたカデ以下の選手達で競い合う国内選手権大会。


当時彼は柔道を初めて1年半程でしたが圧倒的な力の差を見せ付けてその日の大会は優勝しました。


柔道始める前は体操とレスリングを経験しており、柔道でも同年代でずば抜けた体幹と瞬発力、運動神経で他を圧倒していた印象です。


柔道を初めて1年足らずで組手や技の覚えも早く姉のソフィとは対照的に立ちから寝技の移行も俊敏で技のバリエーションも多く、まさに立ってよし寝てよしのオールラウンダーの選手でした。


僕を含め周りの日本人コーチもカデ1年目で欧州選手権の入賞を果たす実力があると踏んでいました。


クラブを移籍する際にツェグレードの柔道チームには面白い選手達が揃っていると聞いてはいたのですが僕は姉のソフィよりもヤシン君に注目しており、是非指導をしてみたいという想いが膨らみました。


ツェグレードへ移籍後、彼の練習を見る事になったのですが姉のソフィとは対照的で、物凄くやんちゃ坊主でクラブ生の中でも1番手の焼く子供でした。


これは最近別の生徒に聞いた話ですが、僕が移る前まではストイックで真面目な子だった様です。


その話を聞いたあとに「まさか俺のせい…?」という気持ちがよぎりましたがそうではなく、僕が移籍する数ヶ月前に世界カデと欧州カデが開催されてたのですが姉のソフィが欧州カデで優勝、世界カデでも既に3位入賞といった実績を残し突如として頭角を現しました。


それまでは「ヤシン」と周囲から名前で呼ばれてたのがその日を境に「ソフィの弟」と呼ばれる様になったみたいです。


何をしても姉と比べられる毎日が続き次第にヤシン君のモチベーションは廃れていきます。


僕が来た頃には柔道に取組む姿勢も悪く、指導者の指示もまともに聞きませんでした。


ある日の練習後のロープ登り練習の際に他の子が登るロープを引っ張りふざけてるヤシン君に僕は

「いい加減にしろ!落ちて怪我でもしたらお前は責任取れるのか?」

と怒鳴った時がありましたが彼はその時初めて僕の前で泣いて、泣いた後も僕を無視する様にその場を立ち去りました。


そこから数日間は道場に来ていたものの、真面目に練習しない彼は別のクラブへ移る意思を表明し、母親とクラブのコーチが揉めましたが姉のソフィだけ残り彼はクラブを移籍しました。


移籍後も寮生活を送りながら柔道を続けていましたが、朝の早い練習に学校の勉強が忙しく結局彼はそこのクラブも辞めてしまいました。


それから彼とは1年近く会うことは無かったのですが、今日の合同練習で久々に彼と再会しました。


今までは僕が挨拶するまでは挨拶を返さなかった彼が自ら歩み寄ってきてお辞儀して挨拶しにきました。


予想もしなかったその行為に僕は少し戸惑いましたが、嬉しかったです。


練習後に彼と話をしたのですが現在は寮生活を辞め学校も自主退学し実家のソルノクで柔道を続けてますが、現在無所属で受け入れてくれるクラブチームを探してるみたいです。


その話を聞くと現在の姉のソフィの状況と重なる部分があり、色々大変な思いを今までしてきたのだろうと考えました。


僕が
「2年前は俺の話を聞きもしなかったのにどうしたの?どうしてそこまで変わった?」
と聞くと

「辞めた後に色々経験して自分の言動を見つめ直した」と返答しました。


「だけど僕が辞めた時もソフィが辞めた時もケンはクラブのヘッドコーチじゃないから何も出来なかったと思う。これはヘッドコーチと家族の問題だったから」


痛いところをつかれました…


僕の知らない水面下で色々家族間でトラブルが起きてたのは知っていたのですがコミュニケーションをちゃんと取って話し合いの場をキチンと設けていれば助ける事が出来たかもしれない。


才能のある選手達を失う事を止めれたかもしれなかった。


そんなこんなで色々話をしたあとに
「今日はたくさん話せて嬉しかった」と言ってくれました。


彼がクラブを去った後は2度と会話することはないだろうと思っていただけに彼の心の成長も含めて嬉しかったです。


僕は以前のクラブに居たときはツェグレードという柔道クラブにソフィやカマキリ、ウングバリ兄弟が在籍しているのは知ってはいたのですがツェグレードへ移籍すると決めたキッカケになったのはヤシン君です。


8月号の近代柔道にもTwitterにも紹介して頂いたのですが、前のクラブにはヤシン君と同級生で僕が手塩を掛けて育てていた選手でキシュ・レベンテという子がいたのですが、その子と同じ階級ということもありいつかはこの子と戦わせたいという勝手な自分の目標を掲げてました。


僕が以前のクラブを去る前に最後に帯同したカデ以下の国内選手権でレベンテ君はヤシン君と初対戦し、僕が1年掛けてレベンテに教えた大外刈りでヤシン君に一本勝ちしました。


その数ヶ月後、今度は僕がヤシン君のコーチとして帯同した試合には元教え子のレベンテ君と試合で対決しその試合でヤシン君はレベンテ君にリベンジを果たしました。


複雑な気持ちも色々ありましたが、そんな思い入れのある選手達です。


個人的に出来ることならもう1度、ヤシン君をツェグレードに迎え入れたい気持ちが強いのですが可能性は0%ですので歯痒い気持ちがあります。


姉のソフィが結果を残してから周囲は
「ソフィは才能がある」と、もてはやしてましたがソフィは柔道の技術的な才能は普通の子と変わらないです。


それを持ち前の努力と集中力、体幹の強さでカバーしていき徐々に技術を身に着けた選手でした。


対して弟のヤシンはウングバリ兄弟含め以前ハンガリー🇭🇺で柔道指導に携わってた川口優大先輩(筑波大学OB)からも、才能だけならソフィや同世代の子達よりも圧倒的に優れていて天才肌と評されてました。


ただ最終的に結果を最後まで出したのは天才の弟ではなく、凡人の努力家である姉だった。


もしあの時に僕を含めた周りの指導者が彼のケアをしていた今頃、世界カデの代表クラスになっていたのはほぼ間違いなかった。


改めて指導者の存在、使命感の大きさを感じざるを得ない思いを痛感しました。


「●●は才能がある、上手だよね?」という話を多くの指導者から質問されるのですが確かにそういった選手をよく見る機会は多いです。


しかし、競技者として最後まで生き残れるのはほんの一部で、天才でも凡人でも地道に下地を作り上げながらコツコツ努力が出来る者かもしれない。


才能に甘んじる選手やその選手の技能的部分のみをフォーカスし、いち人間として教育的指導が出来ない指導者だと今後も同じ過ちを繰り返してしまう。


ヤシン君と指導者として関わった期間は半年程でしたが、それを教えられた気がします。


ただ彼は現在、精神的に大人になり以前とは比べ物にならない程、立派になりました。


そんな姿を見れただけでも僕は彼の事を誇りに思います。


今日はヤシン君について書かせて貰いました。


ではまた!


Viszontlátásra!


※写真右がヤシン君、後方にいるのが姉のソフィ

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